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「構造変化と日本経済」専門調査会による「平成版前川リポート」の報告がまとまったらしい:
世界の技術・人材・情報の拠点目指す=21世紀版前川リポート
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=535304&media_id=52
http://www.keizai-shimon.go.jp/special/economy/item1.pdf (報告書)
章構成としては1章がグローバル経済と日本の位置づけ、2章が今後日本がめざすべき目標。
グローバル経済が直面する課題としては
1.インフレと貧困、2.資金移動の大規模化、3.地球温暖化の進行、4.賃金格差の拡大
日本の課題として
1.存在感低下、2.競争力低下、3.非資源国としての脆弱性顕在化
まあ偉そうに言うようだけど、グローバル経済に関してはこの程度のことは10年以上前から指摘されてきたことだと思うし目新しい発見でも何でもない。おそらく20代前後の若手調査員の勉強成果のようなものではないか。一方日本の課題としては、巷では指摘されてきたこととはいえ、危機感が感じられるところには目新しさが感じられる。特に資源がないことが国の経済力として弱い、ということがこのように大きく取り上げられるようになったのは石油ショック以来かもしれない。私自身はないものにしがみつこうとするのは無駄だと割り切っていたけれど、最近の原油高から危機感が高まっているのだろうか。
というわけで読みどころは第2章特に後半部分の日本がめざすべき目標の方だろう。資源のない国などと指摘されていたことは後退し(というかほとんど関連づけられていない)、開放的プラットフォーム、人的/技術的/金融資産資本の活用、構造変換が謳われた上で、今後10年の目標として
1.人材育成、2.革新的企業、3.多様なライフスタイルを選択できる安心基盤の4.食産業の再構築も含めた地域社会の自立、5.世界的課題への貢献
がたてられている。
4.では道州制の実現も挙げられていて、個人的にはこちらが一番気になるところ。要するにますますアメリカ化しようということだと思うが、実際このような動きはどの程度具体化しているのだろう?2.の革新(ベンチャー)企業の助成も、最近の会社法改正などもこの点が意識されていると思うが、私自身は簡単に会社を設立できるようになりすぎているのではないかという不安も強い。新しい技術を製品化し流通に乗せる仕組みは従来は大企業内のプロジェクトとして整えられてきたし、品質や安全もその過程で保証されていたと思う。品質についてはISO9000などのような公的スタンダード(従来のJAS等もそうだが)が普及してある程度基盤は出来つつあると思うが、サービスに対する信頼のようなものは一朝一夕に出来上がるものでもない。人材派遣会社の盛衰がいい例だ。
そして何より気になるのが報告書を首相に手渡す映像がないらしいということ:
平成版前川リポートにやる気が無い福田首相
著者の財部氏は首相に「やる気がない」(レポートとしてはよく出来ているから強いリーダーが登場して実現を望むというニュアンス)としているけれど、要するに内閣内でも賛否両論(というか、表立って賛成しているのは太田弘子経済担当大臣だけ?)ということの現れなのかもしれない。
高橋義人『グリム童話の世界 ーヨーロッパ文化の深層へ』岩波新書、2006年
もともと童話ではグリム兄弟のものが特に好きだったし、兄のヤーコプが言語学者・民俗学者でもあると同時に法制史学者でもあったことを知ってからは興味が深まっていたところだったので購入。非常に面白く、ここ数年で読んだ新書でも『新・民族の世界地図』『物語 チェコの歴史』と並び五指に入るくらいかもしれない。
他のグリム解釈ものを読んだことがないので比べられないが、たぶんこの本のポイントはドイツ語圏にキリスト教が広まる以前からあった非キリスト教的ゲルマン民族の神話と結びつけて読み解いている所よりも、口承伝承の発祥を農耕儀礼と関連づけた上で日本にも似たタイプのものがないか探っているところではないかと思う。
このような書き方をすると、ドイツの畑でジャガイモを植えるのと日本の田んぼで稲を植えるのとでは全然違うという反論が出そうだ。確かに表面的にはそうなの だが、重要なのはそういう表層的な部分での類似性/相違性ではない。日本の神話は一豪族が政権を握った後にそれを正統化するために政権掌握者側が編纂させ たもの(古事記・日本書紀)であり、大胆に言えば天皇家の武勇伝である。したがって農耕儀礼と関連づけられた「物語(ストーリー)」は神話には必ずしも反映されていないのではないかと思 う。そのような「物語」は農耕儀礼としての踊りや祭りと共に主に民間伝承の形で伝えられてきたのではないか(この辺、もう少し確認する必要あり)。対するドイツ(この頃はまだ連邦の集まりであ りドイツ国としては統一していないが)ではナポレオン戦争で負けて一度フランスの支配に屈していた頃にグリム兄弟が民話の編纂を始めており、最初に童話集 として出版されたのがナポレオンがモスクワに進軍しロシアに敗北した1812年12月。つまり外国支配の辛酸をなめ、文化により自国を強化しようという意 志が何らか影響していたと予想される(これはこの本の著者の主張でもある)。だから時の政権が自分達に都合の良い物語をでっち上げることで国内支配を狙えるはずもなく、まさに日本と逆で為政者の武勇伝ではなく農耕儀礼や民間伝承が神話の拠り所とされたのではないだろうか。
もっとも、日本でも他国支配に脅えながら自国文化の再構築が図られた時期はあった。幕末の尊王攘夷から明治維新の頃にかけてだ。でもこの時も国としての拠り所は古来の古事記・日本書紀に求められた(というか、当たり前のように日本史で習った天皇家の神話=「古事記・日本書紀」というのは実は明治維新の前後に確立された史実だったのだろうか?)。一つにはずっと武家政権が続いていたのを覆すには商人などの新たな政権を立てるよりも天皇を持ち出す方が容易だったというのもあったのかもしれないし、天皇に政治の実権を握らせるためには天皇家の神話を利用するのが好都合だっただろう。また、ドイツの場合は聖書と違ったところに拠り所を発見発掘することでキリスト教文化圏と独立の独自文化を開拓したかったというのもあったのかもしれない。この辺の研究がどうなっているのかは、興味深い。
ちなみにドイツ語圏固有の文化をうち立てようとする動き自体はグリム兄弟による編纂よりはるか以前の18世紀後半から起きている(「シュトゥルム・ドゥ・
ラング」=疾風怒濤と訳されるらしい)。ゲーテやシラーが有名だ。ゲーテは詩人であり弁護士でありながら科学者としての業績もある程に多彩な才能をもつ
が、しかし神話への耽溺などの傾向は見られないようである。また、ヨーロッパ圏一般で言えば政権掌握者による神話編纂に相当するのは聖書だろう。