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高橋義人『グリム童話の世界 ーヨーロッパ文化の深層へ』岩波新書、2006年
もともと童話ではグリム兄弟のものが特に好きだったし、兄のヤーコプが言語学者・民俗学者でもあると同時に法制史学者でもあったことを知ってからは興味が深まっていたところだったので購入。非常に面白く、ここ数年で読んだ新書でも『新・民族の世界地図』『物語 チェコの歴史』と並び五指に入るくらいかもしれない。
他のグリム解釈ものを読んだことがないので比べられないが、たぶんこの本のポイントはドイツ語圏にキリスト教が広まる以前からあった非キリスト教的ゲルマン民族の神話と結びつけて読み解いている所よりも、口承伝承の発祥を農耕儀礼と関連づけた上で日本にも似たタイプのものがないか探っているところではないかと思う。
このような書き方をすると、ドイツの畑でジャガイモを植えるのと日本の田んぼで稲を植えるのとでは全然違うという反論が出そうだ。確かに表面的にはそうなの だが、重要なのはそういう表層的な部分での類似性/相違性ではない。日本の神話は一豪族が政権を握った後にそれを正統化するために政権掌握者側が編纂させ たもの(古事記・日本書紀)であり、大胆に言えば天皇家の武勇伝である。したがって農耕儀礼と関連づけられた「物語(ストーリー)」は神話には必ずしも反映されていないのではないかと思 う。そのような「物語」は農耕儀礼としての踊りや祭りと共に主に民間伝承の形で伝えられてきたのではないか(この辺、もう少し確認する必要あり)。対するドイツ(この頃はまだ連邦の集まりであ りドイツ国としては統一していないが)ではナポレオン戦争で負けて一度フランスの支配に屈していた頃にグリム兄弟が民話の編纂を始めており、最初に童話集 として出版されたのがナポレオンがモスクワに進軍しロシアに敗北した1812年12月。つまり外国支配の辛酸をなめ、文化により自国を強化しようという意 志が何らか影響していたと予想される(これはこの本の著者の主張でもある)。だから時の政権が自分達に都合の良い物語をでっち上げることで国内支配を狙えるはずもなく、まさに日本と逆で為政者の武勇伝ではなく農耕儀礼や民間伝承が神話の拠り所とされたのではないだろうか。
もっとも、日本でも他国支配に脅えながら自国文化の再構築が図られた時期はあった。幕末の尊王攘夷から明治維新の頃にかけてだ。でもこの時も国としての拠り所は古来の古事記・日本書紀に求められた(というか、当たり前のように日本史で習った天皇家の神話=「古事記・日本書紀」というのは実は明治維新の前後に確立された史実だったのだろうか?)。一つにはずっと武家政権が続いていたのを覆すには商人などの新たな政権を立てるよりも天皇を持ち出す方が容易だったというのもあったのかもしれないし、天皇に政治の実権を握らせるためには天皇家の神話を利用するのが好都合だっただろう。また、ドイツの場合は聖書と違ったところに拠り所を発見発掘することでキリスト教文化圏と独立の独自文化を開拓したかったというのもあったのかもしれない。この辺の研究がどうなっているのかは、興味深い。
ちなみにドイツ語圏固有の文化をうち立てようとする動き自体はグリム兄弟による編纂よりはるか以前の18世紀後半から起きている(「シュトゥルム・ドゥ・
ラング」=疾風怒濤と訳されるらしい)。ゲーテやシラーが有名だ。ゲーテは詩人であり弁護士でありながら科学者としての業績もある程に多彩な才能をもつ
が、しかし神話への耽溺などの傾向は見られないようである。また、ヨーロッパ圏一般で言えば政権掌握者による神話編纂に相当するのは聖書だろう。
2009年5月から始まる裁判員制度に備え、法廷用語を一般市民にわかりやすい言葉に置き換えるプロジェクトが日弁連内で進んでいた。その成果として用語集を出版。日弁連のサイトによると、正確には今回出版されたものは法律家向けであり、今月末に市民向け版として『やさしく読み解く 裁判員のための法廷用語ハンドブック』も出るらしい。
ちなみにこの本が出たことを最初に知ったのは某巨大掲示板のスレでだった。さすがにニュース速報などは読まないが、いまだに情報源としては機能しているのかと感慨深かった。
二次創作について何だか偉そうなことを書いた勢いで。
カラオケやblogに代表されるように、日本人は自分が参加する形で文化に関わるのが好きだなあと思う。誰かが万葉の時代の歌合戦以来の文化的伝統とか言っていたが。
このこと自体を否定したり批判するつもりはないし、そういう文化的土壌が豊かな精神文化を育んできたのではないかと思う。
でも。著作権法でそういう日常のたしなみとか教養とかレベルの創作を保護してもらうことは期待・想定されていない気がする。
いや、正確にはそういう創作も法的にはじゅうぶん著作物とは言えるのだけど。
例えば歌合戦の場で自分が使った掛詞やあみ出した季語を使って似たような俳句を詠んだ人がいたとして、著作権法違反として訴訟に発展するか?たぶんしないのでは。
もちろん著作権違反が成立する要件である「依拠」や「直接感得」を証明できるか、というのが(違反問題に発展しない)直接の理由だとは思う。が、 本当のところ、そういう(歌を詠む)場はそもそも互いの良い部分をとり入れあったり影響しあったりする場であることが前提になっていて、その結果生み出さ れる産物(としての和歌や俳句)も個人の創作としてはそれ程意識されていないからではないだろうか。共同著作とまでは言えないにせよ。
というようなこともおそらく普通の日本人は経験知なり言語化しない常識のようなものとして意識していて、だから著作権法もどこか遠い国の押しつけのように感じたりするものなのかもしれない。私もそういうレベルではなるべく鷹揚に考えたいな、等と思う。
一方で、そういう(穿った言い方すれば)日常的な井戸端会議レベルの遊びとは別の次元で創作に励もうとする人がいることもまた事実。文学であれば 純文学、音楽であれば芸術音楽、美術であれば純粋美術(fine art)等というジャンルだ。美学芸術学に属する分野。或いは本格的な学術研究。そういう人にとっては、仮に稚拙であれ商品価値としての評価を伴わないも のであれ、創作活動の産物は自分のアイデンティティを象徴するものであり、他者にやすやすと真似・盗用されることを望まないだろう。
デジタル技術の進歩で最も保護を考えなければならないのはこのような真摯な創作活動の成果物ではないかと思う。
本当はもっと根深い問題が潜んでいて、つまり情報化社会とデジタル技術により一億総創作者の時代が到来していること、誰もがアーティストとして著作権を主張しうる時代になってきていることの方が難しく扱いづらい問題だと思うが、今論じる余裕はないのでまたの機会に。
中山信弘『著作権法』(有斐閣)を読み始めた。
デジタル時代を意識した教科書としては意欲作なのではないかと期待。
今のところはロースクールの知財の授業で議論してきたことがほとんどだが。
昨今の二次創作市場の繁盛ぶりを《翻案文化》と喝破(?)しているところなどは痛快。この問題はある意味、デジタルコピー以上に難しい問題を孕ん でいる気がしている。デジタルコピーは技術の力で規制可能だが、一度発表されたものに依拠して(というか、依拠していることを隠して)翻案したものがアナ ログの場合、どこまで原作に「依拠している」と証明できるか、依拠を証明できた上で同一性が認められるか、その道の専門家でも判断に苦労すると思う。
今一番興味深く動向を注視しているのが池田理代子の『聖徳太子』。
山岸凉子の『日出処の天子』の絵を模倣しているのは明らかだと思うが当人は「モデルはない(依拠していない)し自分の方が史実に忠実に描いている」と言っているらしい。裁判に発展するのだろうか。
日本の場合、市場経済の論理には翻案だろうと面白くて売れればいい、というスタンスがありそう(個人の人格に根ざした個人主義が基本にある欧米の 方が盗作や翻案に対するある種の<恥>があるのではないかという気がしている。模倣で売ろうとするのは表現者として失格、というような)なので、規制でき るとしたら法の力以外にないのでは。社会的圧力等だと漫画界で力ある者からの圧力や政治にコトが片付けられる気がしてならない。
池田理代子の場合所謂二次創作作家と違って既に実績ある大家で最近はオペラに移行していた位のベテランなので、この件も確信犯でやっているのかも
しれない。仮に山岸凉子が裁判で訴えた場合、ストーリーは史実から題材を得ているため、自身の『日出処の天子』に依拠していることを証明するのが難しいだ
ろう。絵だけを模倣しているという方向で訴えることも考えられるが、池田理代子自身のオリジナル絵として認められればキャラクターの盗用冒用を立証するこ
とは難しいだろうし、著作権法は模倣を規制しているわけではないので不正競争防止法などの経済法で戦うか端的に不法行為→損害賠償請求で争うか位が当面考
えられる線か。不正競争で争うには絵がキャラクター商品化されている等「標示」が必要だが、山岸の作品はそういう商業ベースには乗っていなかったと思うの
でやはり難しいか。
ところで《翻案文化》については、著作者人格権の解説頁ではやや批判的に指摘していたのに対し、二次著作の頁では文化の大衆化だなどとやや肯定的
とも読めなくもない。複数の弟子で分担執筆しているのではと疑えるような記述!というのはどうでもいいことだが、原著作者への敬意を失った二次著作の繁盛
隆盛は文化の後退への一歩手前にあるように思うのは悲観的すぎるだろうか。この辺、アレンジの是非ということで昔から友人と議論したりしていたものだが。
もう一点、ブラームスのハンガリー舞曲を二次創作の例に挙げるのはいくら何でも無理があると思った・・・正確には模倣も豊かな文化を生む、という文脈なのだが、作者不詳の民謡を採り入れるのと既に著作者がわかっている曲を翻案するのとでは意味合いが違うかと・・・
つづく
■橋下弁護士への損賠訴訟で口頭弁論「TV発言で業務妨害」(読売新聞 - 09月27日 14:52)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=304470&media_id=20
個人的に橋下氏の言動には不快感を覚えてしまうが、それはTV受けの良さ・立ち回り上手で金儲け上手なポピュリストに対して生理的嫌悪感を覚えてしまう損な性分(苦笑)に由来すると思うのでなるべく私情を抜きに。
(ちなみに橋下氏はいわゆる出世街道を歩むタイプの立ち回り上手とは違い、そこがおそらく庶民の心を掴むタレントとして成功できた秘訣だと思う。またwikiによれば彼は改憲・核保有肯定派らしいがそのこと自体は自分とは異なる政治的立場でこそあれ生理的反感はない)
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まず簡単に事実整理。
1.光市母子殺害事件の差し戻し審で被告人弁護側が主張を変更
*光市母子殺害事件
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%89%E5%B8%82%E6%AF%8D%E5%AD%90%E6%AE%BA%E5%AE%B3%E4%BA%8B%E4%BB%B6)
山口県光市のアパートへ少年侵入し母子殺害、母を死体姦淫
検察側は死刑求刑、被告人が事件当時18歳未成年だった
山口地判平成12年3月22日 無期懲役
広島高判平成14年3月14日 控訴棄却
最判平成18年6月20日 原審破棄、差戻し
現在、差戻し審で審理中
*問題になった言い分・主張(いずれも強姦・殺害の故意を否認する為のもの):
・ドラえもんがなんとかしてくれる
←娘の遺体を押入れに押し込んだ行為について
・魔界転生の儀式 ←母を殺害後死体姦淫した行為について
・その他、「甘えの気持ちで抱きついた」「首絞めは口をふさごうと
しただけ」
*曲解とされている言い分・主張
・コスプレ趣味 ←水道屋に変装して室内に侵入したことについて
弁護側の主張に「水道工事屋さんになりすましたママゴト遊び」
・ちょうちょ結びにしてあげたら死んだ
2.被告人弁護団の弁護手法に関し世論から非難が集まり
橋下徹弁護士、テレビで視聴者に懲戒請求を呼びかけ
(2007年5月27日放映「たかじんのそこまで言って委員会」)
数百通もの懲戒請求が届く→2007年9月7日現在、4022件に膨れる
*橋下弁護士
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A9%8B%E4%B8%8B%E5%BE%B9
3.弁護団側より橋下弁護士へ業務妨害に対する損害賠償請求訴訟
平成19年9月27日 第一回口頭弁論(橋下氏欠席)
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問題が
「刑事弁護の手法として行き過ぎていないか」
と
「有名タレントがテレビで懲戒請求を呼びかけることの是非」
という異なる次元間で錯綜しているように感じる。
関連ブログを拾ってみた限り、橋下擁護?派は懲戒請求の呼びかけを擁護しているというよりは、光市母子殺害事件の弁護側の手口を批判しているように読める。
弁護側を批判するだけでは橋下への損害賠償請求を否定する論拠として足りないのではないかと思う。
一方、橋下批判派には「踊らされて懲戒請求した庶民」の刑事弁護に対する理解欠如を嘆く声も見られる。この点については、いくら被告人弁護という 職業のためという大義名分があるとは言え、被害者家族に対して何の配慮もしなくて良いことの言い訳にはならないと感じる。これは被告人弁護団だけでなく、 マスメディアに対しても言えることだろう。
ちなみに最判平成19年4月24日にて、懲戒請求が違法となる場合がある旨の最高裁判決が出ています。
http://www.courts.go.jp/hanrei/pdf/20070424155439.pdf
http://kanz.jp/hanrei/detail.html?idx=1727
---9/30 更新---
・裁判員のことを書いたのでついでに:
裁判員制度の疑問に答えます=法テラスが電話相談開始へ
(時事通信社 - 09月29日 05:01)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=305861&media_id=4
法テラス(日本司法支援センター):0570-078374
http://www.houterasu.or.jp/
・安田弁護士の項目に主張内容の詳細があったので:
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%89%E7%94%B0%E5%A5%BD%E5%BC%98
(つづく)